鋸山のあのギザギザした稜線は、自然の造形ではありません。200年近く人が石を切り出し続けた結果できた地形です。ここで採れる「房州石」は凝灰質砂岩という軟らかい石で、加工しやすく火にも強い。だから江戸の終わりから、建物の土台や蔵、塀の材料として大量に運び出されました。
採石が本格的に始まったのは幕末の安政年間、伊豆から来た石工たちの手によってです。明治に入ると規模が一気に大きくなり、船で京浜地区へ大量に出荷されました。横浜港の護岸や、東京湾に築かれた台場・海堡の礎石にも、この山の石が使われています。近代化していく東京の足元を、房総半島のこの小さな山が支えていたわけです。
石は高さによって質が違い、最上級とされた「桜目」というピンクがかった石は、山頂付近でしか採れませんでした。美しく、粘りがあり、丈夫。当然いちばん高く売れました。
作業は完全な手作業でした。男たちが石を切り出し、200kgを超える石材を背負って急な山道を何度も往復して運び下ろしたのは、女性たちです。登山道にいまも残る「車力道」には、石を積んだねこ車のブレーキ痕が刻まれています。石を滑らせて下ろした「樋道」の跡もあります。歩いていて足元に不自然な溝や轍を見つけたら、それは百年前の労働の跡です。
機械化されたのは1958年(昭和33年)。チェーンソーが入ったことで、石工1人が1日に切り出せる石材は8〜10本から80〜100本へと、一気に10倍になりました。しかしコンクリートの普及には勝てず、1985年に採石は終わります。
もう一つの顔が日本寺です。725年に行基が開いたと伝わり、1181年に源頼朝が本殿を再建したとされます。境内の「千五百羅漢石像群」は、江戸中期に大野甛五郎英令という職人が20年をかけて彫り上げたもの。石を切る山であると同時に、石を彫る山でもありました。
現在、鋸山は日本遺産の候補地域に認定されています。